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ストーカー性に関するメモ
自分にはストーカー気質な所がある。
●好きなものや人に対して自分が好意をもって行う行動には正義があるという
思い込み、あるいは何とかして正当化しようとする性質。
●こちらの(一方的で自己中心的な)誠実な態度に対する相手側の
(別に悪気はない、単純に興味がないがゆえの)スルーや否定に対する逆ギレ。
●自分を被害者、弱者だと定義し、さらにその証拠を提示、あるいは捏造してでも
相手に突きつけて、相手を悪者扱いして相対的に自分の正当性を主張しようとする
傾向。
これらを自分は客観的に把握し、心底嫌悪している。
本能的にはこれを行使したいが、それが病的で悪質なものと理解しているがゆえに
抑えつけている。これらが自分の中にあり、自己嫌悪を感じている事さえも、
見せない努力をしている。それをしなければ、図々しい悪人になる以外 道がないからだ。
そして、少なからず自分と同じ性質を持つ人間に対し、共感を抱いてしまう所がある。
だが、根本的には上記の要素は嫌悪の対象なのだ。するのも、されるのも。
ストーカー性を隠し、抑えつけるには限界があるし、ストーカー性を無自覚な同類が
自分の意思の力でそれを抑制する事はほぼ不可能である事も知っている。
ストーカー性を持つものは自己中心的だ。押し付けがましいし恩着せがましいし、
過剰に正義ぶる。
ストーカー性は依存と甘えと支配の欲求であり、他者や自分の本質的な利害を
考えない、幼稚で未発達な精神構造だ。大人になってそれを行使すれば、
浅ましく、横暴で、身勝手かつ臆病な人間と評価されるだろう。
・
・
・
もっと噛み砕いて考えれば、これは「捕食」の欲求とも言える。
単純に「食いたい」だけなのだ。ただ、それだけ。自分を満たす快楽や
安心や価値を、何が何でも手に入れたい、単純にそれだけの欲求。
本能に根ざすもの。だからこそ、それを「正義」だと自分の中で定義する。
そうしなければ、生きている事自体が罪になってしまう程に、自分を構成する
根本の要素なのだ。
この欲求は消えない。一つ解消されればされる程、エスカレートする。
その度、状況は悪化する。改善するには欲望を減らすか、嫌悪して封じ込めるか、
二択だ。
そうなるとストーカー性を持たない人間よりも相対的に禁欲的な人生を
送らざるを得なくなり、心理的に奴隷化する傾向がある。その未来予想も本能的に
出来ており、その道を受け入れられないうちは、例え自分にストーカー性があると
気づきつつも、あえてそれを行使し続ける傾向がある。
もうひとつ、地位や能力を駆使して、社会的にストーカー性を正当なものとして
行使しまくる、という道がある。だがこの道こそ真の地獄を呼び込む。
ストーカー性とはフロイトの心的装置理論でいう「エス」にあたるものが
過剰に肥大化した状態、または、エスの制御が困難な状態である とも言える。
2012
自分にはストーカー気質な所がある。
●好きなものや人に対して自分が好意をもって行う行動には正義があるという
思い込み、あるいは何とかして正当化しようとする性質。
●こちらの(一方的で自己中心的な)誠実な態度に対する相手側の
(別に悪気はない、単純に興味がないがゆえの)スルーや否定に対する逆ギレ。
●自分を被害者、弱者だと定義し、さらにその証拠を提示、あるいは捏造してでも
相手に突きつけて、相手を悪者扱いして相対的に自分の正当性を主張しようとする
傾向。
これらを自分は客観的に把握し、心底嫌悪している。
本能的にはこれを行使したいが、それが病的で悪質なものと理解しているがゆえに
抑えつけている。これらが自分の中にあり、自己嫌悪を感じている事さえも、
見せない努力をしている。それをしなければ、図々しい悪人になる以外 道がないからだ。
そして、少なからず自分と同じ性質を持つ人間に対し、共感を抱いてしまう所がある。
だが、根本的には上記の要素は嫌悪の対象なのだ。するのも、されるのも。
ストーカー性を隠し、抑えつけるには限界があるし、ストーカー性を無自覚な同類が
自分の意思の力でそれを抑制する事はほぼ不可能である事も知っている。
ストーカー性を持つものは自己中心的だ。押し付けがましいし恩着せがましいし、
過剰に正義ぶる。
ストーカー性は依存と甘えと支配の欲求であり、他者や自分の本質的な利害を
考えない、幼稚で未発達な精神構造だ。大人になってそれを行使すれば、
浅ましく、横暴で、身勝手かつ臆病な人間と評価されるだろう。
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もっと噛み砕いて考えれば、これは「捕食」の欲求とも言える。
単純に「食いたい」だけなのだ。ただ、それだけ。自分を満たす快楽や
安心や価値を、何が何でも手に入れたい、単純にそれだけの欲求。
本能に根ざすもの。だからこそ、それを「正義」だと自分の中で定義する。
そうしなければ、生きている事自体が罪になってしまう程に、自分を構成する
根本の要素なのだ。
この欲求は消えない。一つ解消されればされる程、エスカレートする。
その度、状況は悪化する。改善するには欲望を減らすか、嫌悪して封じ込めるか、
二択だ。
そうなるとストーカー性を持たない人間よりも相対的に禁欲的な人生を
送らざるを得なくなり、心理的に奴隷化する傾向がある。その未来予想も本能的に
出来ており、その道を受け入れられないうちは、例え自分にストーカー性があると
気づきつつも、あえてそれを行使し続ける傾向がある。
もうひとつ、地位や能力を駆使して、社会的にストーカー性を正当なものとして
行使しまくる、という道がある。だがこの道こそ真の地獄を呼び込む。
ストーカー性とはフロイトの心的装置理論でいう「エス」にあたるものが
過剰に肥大化した状態、または、エスの制御が困難な状態である とも言える。
2012
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